世の中の仕組みを勉強する

なぜ人を殺してはいけないのか?

200円のハンバーガーってどうやってこの金額になってるのか?

払ったお金はその後どこにいくのか?

為替レートはどうして変動するのか?

 

このよう社会の仕組みを勉強するのが「社会学」だ。

2018年に大ヒットした吉野源三郎著「君たちはどう生きるか

にも大人になっての必須科目社会学の必要性が説かれている場面が出てくる。

 

例えば、なぜ人を殺してはいけないのか?

解釈は色々とあるし意見も分かれるがここでは社会学の観点から述べてみる。

 

とある中学生が聞く。

「どうして人を殺してはいけないの?」

 

実際に答えられる大人はどれ位だろうか?

いや実はそれはあまり関係がなく、その疑問をぶつけられた時点で大人社会の敗北とみるべきだろう。そもそもそのように思い抱かせる環境をつくってしまったと。

 

子供たちは学校の道徳の授業で、

人間は尊いものでお互い助け合い寛容な精神でとか、、

法律で決まっているでしょ、人を殺してはいけないのは

本当に理由になるだろうか?

 

ふーん分かりました。

といってじゃあ人を殺してはいけないのですねと言って納得しまってはいけない。順番が逆である。その世の中の仕組みをつくった人が規則をつくることをもししなかったとしたら、、そもそも規則や法律が存在しなければOKということになる。これはおかしい。

 

ではなくて、人間の承認と尊厳に関わると解釈している。

人は相手の存在がいて自分という存在が承認されるものであるならば、相手がいるからこそ自分がいることになるのだ。だから相手がいなくなってしまえば、自分を承認してもらえる人がいなくなる=自分の存在価値がないということになり、

仕組みやメカニズムで成り立っているのであるということだ。

社会学というかここまでいくと哲学に近いだろう。 

 

本題に戻ると、これが絶対的に正しいものとは言い切れない。

お寺のお坊さんだって意見が分かれるかもしれない。

もっと様々な見方が存在するし正解はない。

そもそも正解がないことでよりよく回っていることもあるくらいだ。

ただ、このような複眼的な視点を持ち議論や考えを持つことは自らを形成していく社会に一石を投じることにつながる。

だから本気で勉強していくと世の中疑問だらけだということに気づく。

いや勉強しないとそもそも疑問にも思わない。

自分はこんな感じで頭をぐるぐると回転している日々である。